Editor's Museum「小宮山量平の編集室」

日々のできごとと思いを伝えます。

父の言葉をいま・・・その396

 “政治の腐敗”というのは、今この国のことですね。
 先日無言館の館主、窪島誠一郎さんとお話していた時に、窪島さんがふとおっしゃいました。
 「“ちっともいい世の中にならなかった”って、量平先生が・・・・・」──と。
 そう、その父のことばをこのところ私もしきりに思い出していたのです。

 父が逝ってから4年目の夏、毎日新聞鈴木琢磨さん(現在編集委員)が取材に来てくださいました。
 鈴木さんは、たびたび父に会いに来てくださった方です。
 いただいたお手紙が残っています。

   小宮山量平さま
   ごぶさたしております。
   こんど、神戸のことを書く機会がありました。
   「きりん」が書けたらと思いました。
   灰谷さんにも協力していただきました。
   “千曲川”を思い出します。
   近々、また「きりん」を書きたいのです。
   きりんの涙─。勝手に考えています。
     平成10年5月27日  鈴木 琢磨

 2016年8月16日付の記事は、「平和よ、─2016夏、会いたい─」という欄。
 “妻に語った最後の言葉、いい世にならなかったね”と題されていました。

 (前略)
 小宮山量平さんに会いたくて、長野県上田市へやってきた。JR上田駅前に建つうなぎ屋の3階にある「エディターズミュージアム(小宮山量平の編集室)」。
 理論社を創業した戦後を代表する出版人で、多くの創作児童文学者を育ててきた編集者の足跡が一望できる。先の見えない時代、私は折に触れ、どうしたものかとインタビューしてきた。
 理論社が倒産した2010年秋に話を聞いたのが最後、亡くなったのは2年後の春だった。
 「<壺ひとつぽとんと沈め河川葬(おそうしき)>なんて遺言のような句を詠んでいたでしょ。三つのつぼに遺骨を入れ、一つは母、一つは庭に埋め、一つは千曲川に落としてくれと言い残してね。ここにあるのは母に渡したつぼです」。
 長女でミュージアム代表の荒井きぬ枝さん(68)が父の思い出を手繰り寄せる。
 「体力が衰えてきても、母や私に思いを伝えようとしました。そして、語りかけたんです。『おかあちゃん、ちっともいい世の中にならなかったねえ』。私には忘れられない言葉です」
 ちっともいい世の中にならなかった──。いったいどういうことなのか?
 青春の6年間を兵営で過ごした小宮山さんは戦後すぐ、焦土となった東京で出版社を起こす。編集者でありながら、自らもペンを執った。心の友だちという喜劇役者、チャップリンの児童向け伝記『チャップリン 笑いと涙の芸術家』を書いたりした。
 <かれによって、わたしたちは、戦争というものを笑うことを知り、悲しむことを知りました>。平和を願いつつも戦争へと突き進む人間の業を見つめてきた。
 「自分の足で立ち、自分の頭で考えなければ、第二の敗戦が訪れる、とずっと父は言っていました」(荒井さん)
 先ごろ他界した永六輔さんは戦時中、疎開で上田の旧制中学へ通った。そんな永さんを小宮山さん、戦後50年からしばらくして地元のトークショーに引っ張りだす。タイトルは「僕は上田が大嫌いだった」。後に永さんは著書にこう書いている。
 <上田は思い出したくない記憶に溢れている町です。でも五十年たったことですし、上田の町が嫌いというより、戦争という時代が嫌いだということで・・・・・>。
 2人の親交は続き、昨年5月も車椅子の永さん、ミュージアムで講演した。東京大空襲の翌日に戻った東京が焼け野原だったこと、そうした事実が一切、知らされていなかったこと、情報を統制する国家の恐ろしさを涙ながらに声を振り絞って語ったという。
 「そうだ、またあの時代に似てきたんじゃないか」。遺影の小宮山さんはしきりにうなずいていたに違いない。

 上田にはもう一つ足を運びたいところがあった。戦没画学生の絵を集めている「無言館」だ。館内は外のセミ時雨がうそのようにしんと静まりかえっていた。若者がたった一人、早世した画学生のデッサンや絵の具を食い入るように見ている。晩年、小宮山さんと交流のあった館主の窪島誠一郎さん(74)も「ちっともいい世の中にならなかったねえ」を気にしていた。「むしろ僕たちが平和を食いちぎるモンスターを戦後70年で育ててしまったんでしょう」
 窪島さんは続ける。「虫がわかないように米びつに入れておく物があるでしょ。それが平和憲法です。それすら政権は都合よく変えていこうとしている。なのにそうした動きを止めることができず僕たちはいる。障害者19人が殺害された事件がありました。
 量平先生ならどう考えただろうと思いますね。人の命までコストで計算する人間が出てきた。戦後、利便性と経済性のみを追求してきた、この国の流れにいつしか誰もがくみしてきたんじゃないか。戦争もまた経済ゲームです。人間の原罪そのものを問わなければいけないのに・・・・・。日本人は振り返ることを恥じと感じるのか、戦争の総括が弱いままにここまできてしまった。そこにモンスターが生まれた」
 無言館でささやかな独自の成人式が続いている。窪島さんのアイデアに小宮山さんが乗った。「戦争の愚かさ、不条理の中でも絵筆を捨てなかった若者たちがいた。絶望と希望がせめぎ合っている美術館で感じてほしかった」(窪島さん)
 毎年、ゲストが新成人に言葉を贈る。03年の第一回には小宮山さんがこんな言葉を贈った。
 <「怒るときに怒らなければ、人間の甲斐がありません」と、作家太宰治が、河盛好蔵という大編集者宛の手紙に記しています。現代という時代は、そんなときではないかとおもうのですが、どうでしょうか?>
 (中略)
 夕暮れの千曲川のほとりを歩いた。かわいいベレー帽の小宮山さんと散策した日が浮かぶ。
 「100年後には世の中、少しは進む。そんなふてぶてしさを持つのです。腹さえ据われば、眼前で起きている全ては喜劇ですから」。そうつぶやいていた。
 小宮山量平は日本のチャップリンだったのかもしれない。   【鈴木琢磨

 「私は折にふれ、どうしたものかとインタビューしてきた」。
 鈴木さんの文章が今、私の思いと重なります。
 おとうさん、どうしよう、こんな世の中になってる!

 でも、返ってくるのは父の笑顔です。
 どこかチャップリンのような父の笑顔です。
 『モダン・タイムス』のラストに流れていた曲が聞こえてきます。
 悲しい時でも辛い時でも笑顔でいさえすれば、乗り越えられる・・・・・というあの曲「smile」。
 いつも私を励ましてくれる曲です。
 「怒る時には怒りなさい。でも希望を捨ててはいけないよ。」
 この年の最後を父のこの言葉で締めくくろうと思います。

 一年間ありがとうございました。

                          2023.12.20   荒井 きぬ枝