7月11日の朝日新聞に大きな広告が掲載されていました。
「2027年 岩波文庫創刊100年」
新しく、あるいは久しぶりに、あるいはいつも通りに、岩波文庫とたくさん出会っていただけますように――1927年7月10日が、私たちの誕生日。
100年分の感謝をこめて、記念企画を準備中です。
このミュージアムに「千曲文化クラブ蔵書」と書かれた棚があります。
「終戦後、貸本屋のようなことを始めたんだよ」――、父はよくそう言っていました。
「上田自由大学」を甦らせたい、と父は願ったのです。
“千曲文化クラブ”と題された文章が残されています。 (『昭和時代落穂拾い』)
千曲文化クラブ
この敗戦を、どのように受けとめるべきか。その容易ならぬ課題に直面して、私のふるさとの日々は始まった。太郎山という凡中の凡なる名を冠した山との対面が、何やら禅問答めいた心の安らぎとなった。
初めての敗戦体験であってみれば、あの中国民衆のようなしぶとさは望むべくもないが、なるべくならば一本すじの通った同胞であって欲しかった。なろうことなら、ギブ・ミイ・チョコレートの物欲しげさだけは避けて欲しいと願った。
そんな誇りある自立的な精神が、どうしたら守り通せるか。せっかく戦争下の苦難に手探りで得た「大ヒューマニズム」を見失わずにいられるかどうか。太郎山を見上げながら胸中に呟くのは、そのことだった。
駅前の料亭という家業は、未だ開業の見込みはなかった。もっけの幸いと、その店頭に私の長年の蔵書のすべてを並べて貸本屋を始めた。名付けて《千曲文化クラブ》である。人びとは本に飢えていた。集まる若者たちの胸には、祖国の明日の命運が去来していた。毎夜のように研究会は開かれるのであった。 (後略)
「旭川の将校生活の収入はすべて本に変わり、私は冨貴堂書店第一の客だった」
文章にはこのような添え書きがありました。
岩波文庫が創刊された1927年、昭和二年です。
父の蔵書の中にはたくさんの岩波文庫があります。
昭和二年発刊のものがあるかしら――?
探してみました。見つけました!
志賀直哉 著 『和解』他
幸田露伴 著 『風流佛』他
倉田百三 著 『出家とその弟子』
横書きの題字は右から左へ、奥付には作者本人の検印が押されています。
百年前の岩波文庫です。
若者たちに本を――そう願った父。
「千曲文化クラブ会員名簿」なるものが残されています。
青木正男(十九歳)上田中学(現在の上田高校)五年生
清水孝安 市内中常田 上田繊維専門学校
小山温 浦里村 農業
延々と若者たちの自筆が続いています。
女学生のものもあります。
たくさんの若者たちが集まったのですね。
岩波文庫が創刊100年を迎える2027年、理論社は創業80年を迎えます。
記念事業としてこの7月、灰谷健次郎さんの『兎の眼』と『太陽の子』の復刻版が刊行されました。
それぞれの本のオビに現代の大学生から寄せられた感想が掲載されています。
『兎の眼』を読んで、
――印象的なのは、まっすぐに人と向き合う子ども、先生、保護者たちの姿だ。
――この作品は時代を超えて、胸に深く残る。
『太陽の子』を読んで、
――優しい人ほど、つらくて苦しい。それでも本書は優しくあることの尊さを、生き生きとした登場人物を通して気づかせてくれる。
若者と本とのめぐりあいを願い続けた父。そして今、ある一冊の本とめぐりあった現代の若者たち。なんだか心があったかくなりました。
2026.7.29 荒井 きぬ枝



