2022-01-01から1年間の記事一覧
2003年の暮れに近い頃だったと思います。 京都で灰谷健次郎さんにお会いしました。 その時私がたずさえていたのは“エディターズミュージアム──小宮山量平の編集室──”の「計画書」。 灰谷さんに読んでいただいたのは、確か大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ…
2005年の12月24日、クリスマス・イブに行われた「編集者講座」のことを思い出しています。 このエディターズミュージアムを立ち上げた年、「五味川さんについて話そうか」と言ったのは父でした。 12月25日付の信濃毎日新聞が伝えています。 編集者・作家の小…
住井すゑさんの『橋のない川』について父が語っていたことばを思い出します。 「住井さんは理論社からの出版を望んでいたけれど、こんな小さな出版社ではなく、読者層を広げるためにはもっと 大きな出版社から出すべきだと言ったんだ」───と。 1961年、『橋…
年末の大掃除をしていて、三十数年前の“私”に出会いました。 古ぼけた冊子を見つけたのです。 どうしてこれが保存されていたんだろう───と。 開いてみて、思い出しました。 私の母校「清明小学校」が三十周年を迎えた時の記念誌です。 その当時、PTAの役員だ…
生誕120年「住井すゑ、95年の軌跡」 昨日、日本近代文学館に行ってきました。 “『橋のない川』 ファン第一号”と題された父の文章(ブログその342に掲載)がパネルで展示されていました。 キャプションには以下のように記されていました。 『橋のない川』の読…
11月13日、「自由大学運動100年記念フォーラム」がこの地で開催されました。 副題は“自由大学運動100年から学ぶ、過去・現在・未来”。 基調報告を聞かせていただきました。 講師は山野晴雄さん(自由大学研究者)と長島伸一さん(長野大学名誉教授)。 山野…
遠い遠い昔のことです。 クリスマスの朝、目がさめると、枕元に30色ほどのクレヨンが入った赤いセルロイドの細長いケースが置かれていました。 小学校に入ったばかりの頃だったでしょうか。 そのケースを抱きしめて、私は考えていたのです。 “サンタクロース…
「二紀会」の参与でもいらっしゃる上田市在住の画家、米津福祐さん。 10月29日付の「週刊うえだ」の一面には油彩「パリ風景」に添えた米津さんの文章がありました。 『昭和時代落穂拾い』の表紙の絵は米津さんが描いてくださったのです。 ふるさとを描くあな…
小学校六年生で第一銀行の頭取であった渋沢敬三さんの給仕となった父。 与えられた仕事について、次のような文章を記しています。 (前略) 私はその銀行の検査部というところに配属された。その部屋の奥のもう一つの部屋にゆったりと「その人」が現れる。そ…
今起きている「戦争」の状況が毎日の新聞やテレビで伝えられる中、先週のブログに 掲載した『きりん』の詩が、ずっと私の心を占めています。 戦争はいやだ 戦争はこわい (後略) 大阪市 山口 雅代 9月17日から小海町高原美術館で開催されている「浮田要三と…
『愛になやみ死をおそれるもの』(1954年理論社刊)。 二十数名からなるアンソロジー(詞華集)です。 のちに父は以下のように記しています。 (前略) 『愛になやみ死をおそれるもの』と題するその一冊には、風見章・柳田謙十郎などの老先輩から、真下信一…
1953年に理論社から刊行された『壁あつき部屋』。 この本について、父は以下のように語っています。(『昭和時代落穂拾い』) 当然のことであるが、勝者が敗者を裁くという戦争裁判には、さまざまな不条理がつきまとう。それを凝視すればするほど、私の眼に…
『編集者とは何かー危機の時代の創造ー』(1983) 『子どもの本をつくるー創作児童文学の時代ー』(1984) 『出版の正像を求めてー戦後出版史の覚書』(1985) 以上、日本エディタースクール出版部から刊行された三部作です。 三冊をまとめて入れることので…
『きりんの絵本』(2008年“きりん友の会”刊)。 編集執筆された、当時芦屋市立美術博物館学芸員でいらした加藤瑞穂さんがカメラマンを同行されて訪ねてくださった時のことを思い出しています。 一枚一枚ていねいに撮影された『きりん』の表紙が一冊の本とな…
『トルストイこどものための本 全六巻』(1972年理論社刊)。 父がそのパンフレットに記した“刊行のことば”を今読んでいます。 いまふたたび《トルストイの時代》がおとずれようとしています。 そう始まる一文には、刊行を決意した父の想いが綴られています…
父の著書『昭和時代落穂拾い』に寄せてくださった灰谷健次郎さんのことばを、先回のブログの結びにしました。(本のオビ) 同じオビの裏に、父は灰谷さんへのお礼を綴っています。 灰谷健次郎さんへ オビのことばすみません! まことにうれしいお祭りです! …
週刊上田紙上に父が書き綴った『昭和時代落穂拾い』、1994年に一冊の本となって刊行されました。 (第一部 1990年4月7日号~1991年8月3日号、 第二部 1992年6月6日号~1993年10月9日号) 亡くなって十年が経った今も、父がここに書き遺した文章が私の指針に…
灰谷健次郎さんが保管されていた『きりん』(昭和23年9月号から昭和46年1月号まで)を、このミュージアムあてに送ってくださったのは2005年の初頭だったと思います。 年度毎にビニール袋に入れて、ていねいにダンボールに詰めて、灰谷さんがどんなに『きりん…
岸田首相は「国葬」とする理由についてこう語っています。 「憲政史上最長の8年8カ月にわたり卓越したリーダーシップと実行力で・・・内閣総理大臣の重責を担った」 「東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を…
「ドレフュス事件」を史実にもとづいて描いた映画“オフィサー・アンド・スパイ”を先日観る機会がありました。 原題は“J’accuse”(仏)、“私は告発する”という意味です。 「ドレフュス事件」については父がよく語っていて、私は私なりに調べたりもしました。…
『出世をしない秘訣』(ジャンーポール・ラクロワ著)が理論社から刊行されたのは1960年のことです。 訳者 椎名 其二 発行者 小宮山 量平 50年の時を経て、2011年の9月に改訂新版が刊行されました。(こぶし書房) この作品の持つエスプリとアイロニー(皮肉…
2022年3月28日付朝日新聞の「声」の欄に掲載されていた小学校の先生からの投書です。 とても大切なことが記されていたので、切りぬいておきました。 児童たちと考えた私たちの平和 今、全世界でウクライナ情勢が大きな注目を集めている。 私の勤務校では先月…
父にもっと聞いておきたかった・・・・・、そう思うことがたびたびあります。 そのことをあらためて強く感じたのは、森崎和江さんの訃報に接した時でした。 6月15日に森崎さんは95歳で亡くなられました。 『まっくら』という作品。 1961年に理論社から刊行された…
我が家で語りぐさとなっているエピソードのひとつです。 中学生だった妹理子がお友達から沖縄のおみやげをいただいて帰ってきました。 うれしそうに父にそれを見せた時のことです。 父はひとこと、 「沖縄は観光で行く所ではないんだよ」───と。 「よかった…
『太陽の子』の表紙と挿絵を担当されたのは田畑精一さんです。 田畑さんが描いた『おしいれのぼうけん』(文・古田足日、童心社刊)は、230万部を超える超ロングセラーです。 田畑さんは父も代表団のひとりであった「子どもの本・九条の会」の中心にいらっし…
明石市在住の画家・坪谷令子さんが「神戸新聞」のコピーを送ってくださいました。 5月15日付の<正平調>。 (朝日新聞の〈天声人語〉に匹敵する欄です) JR兵庫駅裏の四軒長屋で生まれた灰谷健次郎さんは神戸の小学校で17年間教師をした後、「ただのオッサ…
5月31日(火)の夜、NHKの歌番組で大竹しのぶさんが歌う“一本の鉛筆”を聞きました。 美空ひばりさんが1974年、「広島平和音楽祭」で歌った曲です。 ひばりさんは横浜大空襲を体験されていたこともあって、平和音楽祭への出演を快諾されたのだそうです。 大竹…
昨年の暮れに、このミュージアムから運び出されていった田島征三さんの二枚の絵。 きょう刈谷市美術館から展示の様子を伝えてくださる写真が届きました。 エチゴ ウラサ ハダカマイリ(1964) シコク トクシマ アワオドリ(1968) 図録にはそれぞれ“個人蔵”…
“沖縄”について考える時、“沖縄”を想う時、そして“沖縄”を知ろうとする時、私は『太陽の子』(灰谷健次郎 1978年理論社刊)を読みます。 何を読むよりも、沖縄の人々のやさしさ、沖縄の人々の痛みが伝わってくるのです。 「あとがき」を読み返しています。 …
昨日、5月12日の朝刊で早乙女勝元さんが亡くなられたことを知りました。 父の誕生日の朝です。 早乙女さんは90歳でいらしたのですね。 早乙女さんより16歳上の父は、生きていたらこの誕生日で106歳。 ずっとずっと昔の早乙女さんと父との出会いに今、思いを…