2021-01-01から1年間の記事一覧
くりかえし読み、くりかえし語ってきた『愛になやみ死をおそれるもの』(1950年理論社刊) 神山彰一というペンネームで父がその中に書いた「私はお前をえた」という一文は、父の原点であると同時に、ずっと私の心の支えでもあるのです。 父の他に十七人の方…
『千曲川 第三部』は、昭和16年(1941)12月8日の記述で終っています。 父は配属された旭川の第27連隊でその日を迎えました。 (前略) 旭川のような北辺の地でさえ、あの威勢の良い鈴の音が鳴りひびいて、あの新聞この新聞のみんな同じ文面の号外を、何枚も…
前回のブログに入れた灰谷健次郎さんの言葉をくり返します。 子どもが反社会的な行動に走る時、大人の腐敗が必ずそこにある。 子ども・若者の問題は、大人の問題だ。 「生まれてきてよかった」───、子どもたち、若者たちがそう思える世の中であって欲しいと…
NHKテレビの「あの人に会いたい」という番組(土曜日午前5:40~)。 なつかしい映像とともに亡くなられた方が甦ります。 11月20日は“灰谷健次郎さん”でした。 11月23日の命日を前にしての再放送だったのだと思います。 自分の中にどれだけたくさんの人を住ま…
先週のこのブログを読んでくださった方から、“「きぬ枝」さん命名の逸話を知りました”というメールをいただきました。 つけ加えますね。 明治三十年、上田駅前に創業した鰻屋「若菜館」の初代荒井民次郎の妻の名前が“きぬ”。 私のひいおばあさんにあたる人で…
1947年(昭和22年)11月5日、私が生まれた日です。 先日74歳の誕生日を迎えました。 その同じ年の4月に、父は東京で「理論社」を創業しています。 だから、「理論社」と私は同い年なのです。 『季刊理論』(1947.4.15刊)の創刊号に、父が自ら筆をとった「楯…
昭和22年、東京で「理論社」を立ち上げた時のことを父はこんなふうに記しています。 理論社などと、もっともらしい名はつけたものの、いわばホームレスや難民のように住所不定であった。東京駅の正面玄関からまっすぐ皇居に向かう大通りの濠端に面した左角に…
新政権となり、異例の速さで選挙選に突入、“公約”という“ことば”だけが飛び交うなかで、何かが置き去りにされていると思えてならないのです。 子どもたちの心を受けとめていた灰谷先生という「コクバン」。 灰谷健次郎さんが亡くなられた一年後の十二月、ミ…
灰谷健次郎さんの『いのちまんだら』(1998年朝日新聞社刊 画・坪谷令子)は、1997年10月1日から1998年5月13日まで朝日新聞に連載されていました。 連載中とりわけ心に残っていた文章があります。 「ポネットという子」。 連載から二十年以上も経つのに、私…
父がいただいて、大切に保管していた手紙とハガキをずっと整理し続けてきました。 一冊の本ができ上がるまでに、作者と編集者がどのように向き合ってきたか、作品と共に置かれている手紙やハガキが物語っています。 2007年11月5日付の信濃毎日新聞が灰谷健次…
“自分の足で立ち、自分の頭で考える”───。 そのことの大切さを生涯語り続けた父の思いを受け止めて、文章に残してくださった方がいます。 辰濃和男さん(1930~2017)。 東京商科大学(一橋大学)を卒業、父の後輩でいらっしゃいます。 朝日新聞に入社、編集…
山田洋次監督のインタビュー記事の見出しに心を奪われました。 (9月26日 しんぶん赤旗日曜版) みんなが「こうだ」と言う時、「NO」と言えることが大事 記事の中で監督は、次のように発言されています。 「みんなが『こうじゃないか』って言う時に、『私は…
朝、自転車に乗って仕事に向かいながら空を見上げました。 高い空に秋の気配を感じます。風も心なしかさわやかになって・・・・・。 その秋の気配とともに、小学校の校庭で行われたあの運動会のざわめきがよみがえってきます。 娘たちの運動会、孫たちの運動会。 …
“児童憲章七十年”―今こそ理想の実現を── という見出しの記事を読みました。 (しんぶん赤旗 8月25日号) 『児童憲章』が制定されたのは1951年。 今からちょうど70年前のことです。 記事は、その歴史と意義について、“日本子どもを守る会会長”の増山均さんに…
パラリンピックの開催中、「共生」、“共に生きる”ということの本当の意味について、ずっと考えていました。 四十年以上経った今も私にはわだかまっていることがあります。 長女が幼稚園の年長さんだった時のことです。 入学が決まっている小学校で、来入児の…
「東京パラリンピック学校連携観戦」。 修学旅行に行くことさえできない状況の中で、子どもたちが動員されています。 実施する理由として、菅総理や小池都知事は、「共生社会に向けた教育的要素が大きい」とさかんに訴えています。 橋本聖子さんも同じように…
上田地域振興局の公式ブログ「じょうしょう気流」。 “じょうしょう”は、“上昇” ではなく “上小” です。 上田市と、隣接する小県(ちいさがた)郡とを合わせてこの一帯は古くから “上小地区” と呼ばれてきました。 「じょうしょう気流・上田市」で検索してみ…
「“終戦”ではなく“敗戦”だよ」───。 父はいつもそう言ってました。 敗戦から76年目の8月15日を迎えようとしています。 『昭和時代落穂拾い』(1994年週刊上田新聞社刊)に父は以下のように記しています。 ほんとうだろうか 1945年8月15日。その日、日本列島…
鰻屋の女将さんでもある私にとって、連日の暑さの中、忙しい日々が続いています。 “夏バテには鰻”──、そんなふうに思ってくださる方が多いのですね。 コロナ禍で迎えた二度目の夏。 お客様に消毒と検温をお願して感染予防対策としてお名前と電話番号を記入し…
5年前の7月7日に旅立たれた永六輔さんを偲んで、永さんからいただいたお葉書を読み返しています。 三十数枚ほどが遺されています。 1996年、初めて上田で講演をしてくださることが決まった時、神戸でそのお約束をしてきた翌日に、ホテルから 10月29日5時すぎ…
子どもたちが池や用水路で釣ったりするアメリカザリガニ。 環境省がそのアメリカザリガニを特定外来生物に指定し、輸入や販売そして野外に放すのを禁止する方向だという報道がありました。 7月10日付の朝日新聞の「天声人語」は、そのことにふれながら、さら…
信濃毎日新聞の夕刊に連載されている「今日の視角」。 6月30日付に落合恵子さんが “子どもの「いま」は” と題した文章を寄せられていました。 (前略) なによりも気になるのは、マスクをつけた子どもたちだ。 (中略) 不安なのは、駆け回ることも、取っ組み…
一昨日、招待状をいただいていた山田洋次監督作品「キネマの神様」の完成披露試写会にうかがってきました。 感染がまた拡大しはじめている中、恐る恐るの上京でしたけれど・・・・・。 ダブル主演のおひとりに決まっていた志村けんさんを失い、撮影の中断、公開の…
“現代少年詩プレゼント”シリーズ『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』は1973年に理論社から刊行されました。 その翌年、まどさんから父あてに届いたはがきが保存されています。 父が差し上げた手紙へのお返事のようです。 散文詩のように楽しいお便りをあ…
先週の火曜日、6月8日に第一回目のワクチン接種をうけました。 帰ってきて、中学一年生の孫に腕を見せて、 「ほら、接種してきたよ」───と。 すると、孫がこうつぶやいたのです。 「いいなア」───。 そのひと言がずっと心に残っています。 “コロナ”からの解放…
「信州岩波講座」の諸活動を実践してきた「ふおらむ集団999」。 その代表者でいられる中島忠生さんが毎月配信されている『看雲想(KAN-UN-SOU)』というブログに文章を書かせていただきました。(2021.6.6号) 〔日曜随想〕という欄です。 中島さんは「何でも…
NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」が始まったのは1961年、私は中学生だったと思います。 毎週土曜日の夜が楽しみでした。 “上を向いて歩こう”や、“こんにちは赤ちゃん”がこの番組から生まれました。 生放送だったのですね。 時々出演者が笑いをこら…
灰谷健次郎さんが『いのちまんだら』と題して朝日新聞にエッセイの連載を始められたのは1997年11月。 毎週楽しみに読ませていただいていました。 坪谷令子さんが絵を添えられていました。 1998年の9月には朝日新聞社から同名のエッセイ集として刊行されてい…
我が家の庭の“卯の花(うつぎ)”。 まず4月には姫うつぎ、こぼれるように小さな白い花が咲きます。 次ぎに大きな木に育った梅花うつぎ。満開になるのは5月半ば。 今年は開花が早くて、散り始めています。 次ぎに八重の梅花うつぎ。ただいま開花の順番待ちで…
5月12日──。 父の誕生日のこの日に毎年必ず朴の木(ほうのき)の花を届けて下さる佐久の吉澤さん。 今年も父の遺影のわきにかざらせていただきました。 吉澤さんは「つづり方兄妹」の房雄くん(ふうちゃん)の詩に励まされた“ふうちゃん党”のおひとりです。 …