Editor's Museum「小宮山量平の編集室」

日々のできごとと思いを伝えます。

父の言葉をいま・・・その405

 先週、劇団「文化座」の公演を拝見してきました。  
 「花と龍」。原作は火野葦平さんです。
 時は明治の終わり頃、北九州若松港が舞台です。  
 玉井金五郎と妻マン。  
 最下層の港湾労働者たちの近代化を目指して、組合を結成 しようと闘う二人の姿が描かれています。  
 火野葦平さんが、両親を実名で登場させている作品です。
 

 火野葦平さんの父あての手紙が残されています。  

 (前略)  
 三月一日の「ちぎられた縄」モスクワ・テレビ放送の具合はどんなだったか、もし様子でもわかりましたらお知らせ下さい。
 三月一日は、ビキニ五周年で、原水爆核武装反対日本大会が、焼津でおこなわれましたので、小生も招かれて参りました。ソ連のフェドレンコ大使に会い、「ちぎられた縄」のことなど話しました。
 今度はなんとかソ連に行ってみたいものだと考えて居ります。(二十一日、九州へ帰る予定です)        
      三月八日     火野葦平       
    小宮山量平 様  

 1959年3月8日付の手紙です。ちょうど65年前のことですね。  
 もう一通の手紙は、ソ連への越境事件(1938年)の岡田嘉子さん(ご自身は岡田よし子と署名されています)から父がいただいた手紙です。

(前略)  
 おこころづくしの、フィルム(ツルのおどり)テープ、火野さんのメッセージ、四ツ竹、いずれもありがたく頂だいいたしました。  
 ほんとにありがとうございました。  
 スタッフ一同が、流行性感冒で代る代る倒れたりして、稽古がのび、テレビ上映も期日がおくれて、三月廿日ごろの予定です。
 私も自分の“女の一生”でそちらに思うよう力がいれられず、協力演出程度しかお手伝いできないのが残念ですが、とにかく、できるだけのことはいたすつもりでおります。  
 ともあれ、スタッフ一同、ほんとに感謝しております。
 主任演出にあたっている人からも、よろしくお礼を申してくれとのことでございます。  
 なお、火野さんのメッセージはテレビのはじめにつけるといっております。  

 父を介してのおふたりのやりとりがあったのです。  
 岡田よし子さんは、戦後モスクワ放送局に入社されています。国立演劇大学で演出を勉強されて、「女の一生」はその卒業公演だったと資料にありました。  
  1958年には理論社が刊行した『つづり方兄妹』にメッセージを寄せてくださっています。  

 さて、おふたりのお手紙にあった「ちぎられた縄」とは・・・・・。  
 “父にもっと聞いておけばよかった”──、またしてもその気持ちが込み上げてきます。けれど聞けない以上、調べなければ・・・・・と。
 1956年、劇団創立十五周年の「文化座」の記念公演のために火野さんが書き下ろされたのが「ちぎられた縄」という作品です。  
 『女優と妻と母と─鈴木光枝・半生の記』(鈴木光枝、ほんち・えいき著 1977年草土文化刊)に「ちぎられた縄」についての記述がありました。  

 (前略)  
 戦後、沖縄の問題を芝居で取り上げたのはこれが始めてであった。当時、プライス勧告、土地収容問題などでクローズアップされていた沖縄の実情を直視したもので、読んだり聞いたりする以外に知ることの出来なかった沖縄の姿を舞台のうえに形象化したことは、当時の砂川問題などと考え合わせて極めて有意義であり、沖縄島民の深刻な苦悩を改めて心に刻んだものであった。  
 この芝居の劇中で、光枝の踊った仲里節の四つ竹踊りの美しさが大評判になって、客席六百ほどだった一つ橋講堂に、千二百とか三百とかの観客がつめかけたものである。         (後略)  

 そして次のような鈴木光枝さんの談話がありました。
 
 「芝居が大層評判になりまして、観劇したソ連代表部のなんとかいう偉い人は、今、劇団の稽古場に飾ってあるスタニスラフスキーの写真を記念にくださいましたし・・・・・」。  

 そう、きっと、その偉い方がモスクワ放送に「ちぎられた縄」制作をうながされたのかもしれませんね。岡田よし子さんからはこのような報告もありました。
 
(前略)  
 なお、ツルをやる女優はワフタンゴフ劇場のパミコーワという小柄のきれいな人です。 この人は前に中国の“白毛女”をやって好評を博した女優です。  
 いずれ配役など詳しくお手紙するつもりでおります。     (後略)    

 「文化座」の創始者でいらした佐々木隆さんと妻でいらした鈴木光枝さん。  
 そのおふたりと深く交流のあった火野葦平さん。  
 岡田よし子さんもまた、おふたりが在籍していた「井上演劇道場」のメンバーだったのです。
 父はその方たちといつ、どのような形で出会ったのか・・・・・確実なことはわからないのだけれど、それぞれがひたむきに生きていた・・・・・、そのことだけは残されている資料から伝わってくるのです。  

 2008年の5月に須坂市メセナホールで中村哲医師の講演会が行われました。
 (詳細はブログその207に書きました)  
 父の“すいせんのことば”が遺されています。  
 中村哲医師は火野葦平さんの甥です(葦平さんの妹さんの子です)  
 「花と龍」に描かれた玉井金五郎は母方の祖父にあたります。  
 そのことをふまえての父の“すいせんのことば”はずっと心に残っています。               

        すいせんのことば                           
           小宮山量平  

 徳は孤ならずと申しますが、先生のご活躍の芯には、作家火野葦平氏以来の日本人の侠気(おとこぎ)の脈動が伝承されていて愉快です。  
 手と手を握り合うだけでなく、心と心を固く結び合える、熱い人脈を、太く永く、続けて下さるように、両手(もろて)を挙げて、先生の後につづきましょう。       合掌    

 「母の遺品の中に小宮山さんのお名前があったので」───。
 鈴木光枝さんのあとを継がれて「文化座」の代表となられている女優の佐々木愛さんが、亡くなった父のためにお花を持って訪ねてきてくださってからもう10年が経ちました。  
 以来、必ず公演にお招きいただいています。  
 父がつなげてくれた道を歩んでいるんだと思っています。
 

 それにしてもこの国は侠気(おとこぎ)のかけらもない面々が政治にかかわっているのですね。改めて怒りがこみ上げてきます。

                                                2024.3.6  荒井 きぬ枝