Editor's Museum「小宮山量平の編集室」

日々のできごとと思いを伝えます。

父の言葉をいま・・・その184

 「文洋さん」「文洋さん」
 灰谷健次郎さんは親しみを込めて、石川文洋さんをそう呼んでいらっしゃいました。
 だから私もつい「文洋さん」・・・・・と。

 『アジアを生きる』(文・灰谷健次郎、写真・石川文洋 2001年実業之日本社刊)の中で、灰谷さんはこんなふうに書かれています。


 (前略)
 こんどの旅は、アジアということで引き受けた。共に仕事をする人が報道カメラマンの石川文洋さんということで、楽しい旅になりそうだった。
 わたしは石川さんとは呼ばない。文洋さんである。その仕事も人柄も、深く敬愛しているが、文洋さんにはつい、そう呼んでしまう親しさがある。
 戦場の修羅場をくぐってきた人なのに、他人には優しい。そして己に、きびしい。
 そういう人はこのごろ少なくなった。
 やはり仕事で、インドの旅に同行してもらってすぐのことだったが、文洋さんはハイタニさんとやる仕事は楽しいからね、といってくれた。(後略)


 2006年に灰谷さんは亡くなられました。
 2010年、3回目の「うの花忌」で灰谷さんとの旅の想い出を語ってくださった文洋さん。
 「米軍基地を撤廃したフィリピンで、2人とも沖縄の基地撤廃への思いを強くしました」───と。

 2016年には「私の大学」の講師としておみえくださいました。
 テーマは“私が見た戦争と沖縄の米軍基地”。
 それを伝えた週刊上田(2016年4月23日号)の記事から──


 (前略)
 ベトナム戦争の写真を映しながら、「戦場というのは人が大勢死ぬところ、ごくふつうの人が残虐なことをしてしまう。軍隊があるところに戦争が起こるのです。
 また集団自決を強いられ、多くの民間人が命を絶たれた沖縄戦にふれ、「命(ぬち)どう宝で、生きていればいろんな人生があったのに、たくさんの命のつながりが戦争によって断たれてしまった」。
 沖縄米軍基地の辺野古移転に反対する運動の現状を映像とともに報告し、「ベトナム戦争のときも沖縄の基地は利用された。沖縄から飛び立ったB52爆撃機ハノイへの北爆に向かい、200万人もの民間人が亡くなった。辺野古に新基地を造らせたら、再び日本が加害者になってしまうかもしれない」と話しました。  (後略)


 「“命を大事にする” という哲学を日本人はもう一度取り戻さないといけない!」
 繰り返し語っていた父の言葉と文洋さんの言葉が重なります。

 6月29日、もうすぐ文洋さんをお迎えします。

2019.6.19  荒井 きぬ枝

3回目の「うの花忌」で、灰谷さんとの旅を語られた時の文洋さん
後方に父が・・・・・。