感染がまた拡大しはじめている中、恐る恐るの上京でしたけれど・・・・・。
ダブル主演のおひとりに決まっていた志村けんさんを失い、撮影の中断、公開の延期、それらを乗り越えてこの日を迎えられたことが何より嬉しいと、監督は舞台あいさつで語っていらっしゃいました。
山田洋次さんと父は1987年の2月、世界80ケ国の文化人を集めて開かれた「科学と文化の会議」に出席のため一緒にソヴィエトを訪問しました。
それぞれ日本の映画界の代表、出版界の代表としての出席でした。
それがご縁で監督は新作が完成すると、その試写会に父を招待して下さっていました。
いつも感想を綴ってお送りする父の手紙を、監督はとても楽しみにしてくださっていたのです。
父が亡くなってからも、私あてに招待状が届きます。
“父への招待状”──、私はそう思っています。
先日、あるご夫婦がミュージアムを訪ねてこられました。
『千曲川』を第四部まで読んでくださっていて、「だからぜひ来たかったのです」・・・と。
第五部を書きたいと願いながら書かずに逝ってしまった父の思いに話が及んだ時、そのご夫婦が言ってくださった言葉が、今でも心に刻まれています。
「あなたが書かれているブログが、“第五部”のようですね」───。
父の言葉を探りながら書き続けてきたブログでした。
戦後の、そして理論社を興してからの、父の“めぐりあい”の歴史を綴ってきたことを、そのように言ってくださったのではないか、私はふとそんなふうに思ったのです。
このような“めぐりあい”もありました。
2001年3月。
水上勉さんの八十二歳の誕生日を祝い、励まそうと、永六輔さん、灰谷健次郎さん、筑紫哲也さんが北御牧村(現東御市)を訪れることになっていたのですが、その帰りに父を囲んで公開トークをしようという話が持ち上がったのです。
題して「水上勉の誕生日を遊ぶ─小宮山量平さんと一緒に─」。
その日上田市内の梅花幼稚園には、三百人近い人たちが集まり、和やかなトークを楽しみました。
その様子と、収益金を「ゆめ風基金」に送らせていただいたことを水上先生に報告すると、思いがけず私あてに先生からのお手紙が届きました。
(前略)
永六輔さんの一行が私の誕生日を祝いにいらした帰りにそんなことしてゆかれるとはゆめ思いませんでした。
左眼失明のため字がみにくくてすみません。辛うじてこの手紙を書いております。
いつも若菜館へは蒲焼きを電話でたのんでまいりましたが、そんなことで小宮山さんのファンであることの証しであると自認しております。
灰谷さんとはタイ旅行のときご一緒でした。その縁もありますが、『兎の眼』以来です。対談もしたことがありました。
筑紫さん、永さんは「幼夢一夜」という会の仲間であった頃から親しくしていただいております。永さんの『大往生』『嫁と姑』のファンです。
ラジオ・テレビでいそがしいのにいつのまに書くのでしょうか。
このたびはまことにありがとうございました。お父さんによろしくおつたえしてください。「水上さんいいところに家をたてられましたね」と小宮山さんからほめられたおことばを大事にしているとおつたえください。
無言館の館主、窪島誠一郎さんが『全集』を刊行されました。
『窪島誠一郎コレクシオンⅠ~Ⅴ』(アーツアンドクラフツ刊、2021年4月20日、Ⅴ刊行で完結)
昨日、その全5巻が届きました。
このミュージアムの棚に置いて、少しずつ読ませていただこうと思っています。
お父上、水上勉さんについて書かれた文章もいくつか収録されています。
3巻目のオビにはこんなふうに───。
自分が好きになった絵かきたちとの絵とともに、この信濃路の冬げしき、あるいは秋の紅葉、春の花げしきにかこまれて、あと1、2年自分というものをみつめてみたい。
(『デッサン館ぐらし』より)
デッサン館をつくって一年経った頃に書かれた文章からの抜粋です。
“「水上さん、いいところに家をたてられましたね」と小宮山さんからほめられたおことばを大事にしているとおつたえください”。
水上先生の手紙にあったその一節を反芻しながら、「窪島さん、いいところにデッサン館をつくられましたね」
父の声が聞こえてくるような気がしています。
『全集』には窪島さんの“めぐりあい”がいっぱいつまっています。
2021.6.30 荒井 きぬ枝

公開トークのお知らせのハガキ

そして、その当日