1916年(大正5年)5月12日。父が生れた日です。
今年も5月12日がめぐってきました。
父の110歳の誕生日です。
『昭和時代落穂拾い』(1994年刊)に「5月12日」についての記述があります。
たくさんの悲劇と
あの敗戦の月日を悲劇と言うのならば、その決定的な悲劇は既に早くから始まっていた。歴史の大局的な流れからすれば、あの真珠湾の奇襲そのものが悲劇の開幕であったとも言えよう。だが私たちの胸にまで悲劇の序曲として響いたのは、何と言ってもアッツ島の玉砕ではなかったろうか。
〽刃も凍る北海の、御楯と立ちし二千余士、精鋭こもるアッツ島、山﨑大佐指揮をとる……後に悲痛極まる歌として歴史に刻まれることともなった「玉砕戦」が行われたのは、昭和十八年五月十二日のことである。その山﨑部隊は旭川で編成された。つづいて旭川で編成された川口支隊はミッドウェイに差し向けられ、その上陸も果たし得ずに反転してガダルカナルの戦闘に投入され、最も悲惨な殲滅戦を体験した。(後略)
時これ五月十二日
喜寿といえば、五月は私の誕生の月である。うるわしき五月となれば……というハイネの詩を口ずさんだ青春の日以来、その月の訪れと共に身も心も豁然と開け、詩が生まれ、野に山に躍り出る思いを恵まれてきた。が、近ごろはそんな心の弾みを抑制するように必ず甦るのは、あの歌である。
本書の102章「たくさんの悲劇と」の中に、アッツ島玉砕の悲歌の冒頭を引用しておいたが、それに続く二番は次のように歌われている。
〽時これ五月十二日/暁こむる霧深く/突如と襲う敵二万/南に迎え北に撃つ……そう口ずさむのにつれて北海の孤島に累々と屍をさらした二千余の将兵のパノラマが開けて胸がつまる。(俺モ少々生キ過ギタナ)と、反省がこみ上げてきて涙があふれる。どうも、彼らの死に価する世の中を生み出せない不甲斐なさを責められるような昨今なのだ。(後略)
「あいつらの分を生きる」
「あいつらに恥かしくないように生きる」
その思いを胸に戦後を生きぬいた父でした。
そして、もうひとつの「5月12日」。
先日、5月12日付の朝日新聞「天声人語」です。
俳人の橋本夢道(むどう)は東京の長屋暮らしを何より愛した。(中略)
五七五や季語に縛られない自由律を詠んだ。俳句は、「生きるための文学」だと信じた。その姿勢は、戦前に多くの俳人が翼賛体制に従う中で反戦的とみなされた。1941年2月の雪の朝、治安維持法違反容疑で長屋から警察署に連行された▼俳人40人以上が検挙された「新興俳句弾圧事件」だ。逮捕直前、特高警察に「自分たちの『身のまわり』のできごとを自由にうたうだけですよ」と説明したら「その『自由』が君らの目的なんだろう」と言われたという(中略)
夢道が愛した自由とは。治安維持法の施行から101年の今日、思いをはせる。
ふたたび父の文章です。(『地には豊かな種子を』2006年刊)
最近のご時世の傾斜が余りにもあの太平洋戦争の前夜そのままにそっくりであることに、慄然としないではいられません。昭和十七、八年になっても特高警察の目は光り、あの三浦綾子さんの『銃口』という作品が語っているように、日本の初等教育の現場は彼ら特高警察の意のままにじゅうりんされたものです。
「治安維持法」と「スパイ防止法」が重なります。
劇団文化座の公演「母」。
5月19日から24日までの東京ファイナル公演です。
1933年2月20日、特高警察によって虐殺された小林多喜二の母を佐々木愛さんが演じられます。
三浦綾子さんの同名小説が原作です。
観に行く予定です。
あの時代に何があったのか、そのこととしっかり向き合ってこようと思っています。
2026.5.15 荒井きぬ枝