Editor's Museum「小宮山量平の編集室」

日々のできごとと思いを伝えます。

父の言葉をいま・・・その372

 「きりんの子」──。
 かつて児童詩誌『きりん』に詩を寄せていた子どもたちのことを、父はそんなふうに呼んでいました。
 その「きりんの子」のその後を、『きりん』に最初から深くかかわり続けた詩人、足立巻一さんが訪ね歩いた記録が残されています。
 『詩のアルバム──きりんの仲間17年』。
 初版は1964年、改定版初版(装幀・カット坪谷令子)は1979年に刊行されました。

 「雅代さんのアルバム」と題した一節があります。
 足立さんはこんなふうに記しています。

 山口雅代さんは、小児マヒの、きのどくなひとである。
 手足も口も、わたしたちほど自由ではない。だけど、わたしたちは、ほんとうの雅代さんより、手も足も口も、あるいはこころが、自由なのだろうか?自信をもって、そういいきれるだろうか?
 そういっても、わたしが雅代さんとあったのは、たったの二回きりだ。はじめは昭和28年4月、雅代さんは小学校5年生だった。二回目は、ごく最近のことだが、わたしはビックリした。雅代さんは短大の二年生になっていた。そして、その五月一日で満二十歳になった、といった。
 それは、あたりまえのことかもしれない。なにしろ、足かけ十年の時がすぎているのだから。───その十年のあいだに、雅代さんも小学校を卒業し、中学へ進み、さらに高等学校へはいって卒業し、短大に入学した、というだけのことにすぎないのかもしれない。だが、雅代さんの十年は、わたしたちの十年とはわけがちがうのだ。それは雅代さんにとってだけではない。おとうさん、おかあさんにとってもそうなのだ。
 ことに、おかあさんは、雅代さんといっしょに、幼稚園へかよい、小学校へかよい、中学校へかよい、高等学校へかよい、短大へまいにちかよった。雅代さんは、もうだいぶしっかりしたけれど、それでもひとりで学校へかようのは不安なのだ。
 おかあさんは、雅代さんの手をひいて電車にのり、校門をくぐり、教室にはいる。そして、授業がはじまると、いつも教室のうしろで、あみものをして、雅代さんのべんきょうがすむのを待つ。小学校からだと、そんなまいにちが、十五年もつづいているわけだ。(後略)

 小学校に入るまえの雅代さんの詩が足立さんの文章の中にありました。
 だいじなだいじなおかあさんなのですね。

         かなしい
     たかちゃんに
     あんたの かあちゃんでも
     うちの かあちゃんでも
     おばあちゃんになったら
     しぬよ、というた
     たかちゃんが目をこすった
     かなしいのと のぞいたら
     ふん、かえるわ、というた
     戸をあけしなに
     わーんとないた
     わたしも ひとりになってから
     ないた

 『新版ありとリボン』(編集工房ノア刊)。
 この7月7日刊行予定、できたての一冊を拝見することができました。
 作者は80歳になられた山口雅代さんです。
 “まえがき”にはこう記されています。

       はじめに──「新版」発行に際して

 テレビ台の下の引き出しの奥に、二冊、小さな詩集がある。
 あずき色の小さな本。『ありとリボン』である。母が作ってくれたものだ。
 脳性マヒで生まれた私の言葉を沢山書き留めてくれた。それが詩になっていた。
 そして児童詩誌「きりん」に投稿してくれた。そんな作品を、私の小学校卒業記念として、ガリ版ずりの手作り詩集としてまとめてくれた。それを見た竹中郁先生が編集してくださったのが、この本『ありとリボン』 先生が名前を付けてくださった。
 遠い昔のこと。私の宝物。いろいろなことがあった。どんな時でも私はくり返し読んだ。今ではボロボロになっている。両手でつつむとあたたかい。
 こんなに長い間、私を勇気づけてくれてありがとう。母もよく読んでいました。私たち母子といっしょにいてくれたあなた。私ももう八十歳になりました。
 愛しくて淋しくて、すりへっていくあなたをながめている夜、あなたを美しく復活させたくなりました。
 あなたは竹中先生と結んでくれた。足立巻一先生、浮田要三先生ともつないでくれた。黒田清さんとも会わせてくれましたね。
 (中略)
 古い言葉や表現がありますが、全部そのままに、よみがえらせたい。
 竹中先生、よろしいですね。
      2023年2月   山口 雅代
  
 ページを開くとまず、“入学まえの作品 九編”。
 最初に目に飛びこんできたのが「わたし」。
 大好きな詩です。

          わたし
   お人ぎょうは
   ひゃっかてんに
   いくらでも うっているけど
   わたしは どこにも
   うってはいない
   せかい中に
   わたしは たったひとりだけ
   それに かあちゃん
   わたしを しかる
 
 6歳の雅代さんの“うったえ”です。
 おかあさんが雅代さんの“うったえ”を受けとめ、書きとめていらしたのですね。
 『一年一組せんせいあのね』のカバーに綴られていた編集者としての父のことばが重なります。
 
 こどもたちは、いつもいつも、うったえつづけていたのです。
 そのうったえを聞きとることができたかどうか──それを思い知らされながら、私はこの本を編集しました。

 そして今、あらためて、『2歳から5歳まで』(1970年理論社刊)の“刊行のことば”を読んでいます。
 著者コルネイ・チュコフスキーさんに父が語りかけていることばです。
 
 (前略)
 こどもたちは、けっして役立たずでもなく、かわいい愛玩動物でもなく、人間の一生の中でも最も豊かで意味深い労働をいとなむ知的労働者であり、人類の創造性を保障する原動力でした。こどもたちは、楽天的で、前進的で、自由で、彼らを眺めるだけで人びとの心に平和をもたらす「思想家」でした。このようなこどもたちに対しては、教えることよりも、彼らから学ぶものの方が多いことを、あなたは指摘しづつけてきたのです。  (後略)

 6歳の雅代さんの“うったえ”は、こどもたちの“心”を伝えています。
 こどもたちはこんなにもこんなにも“心の作業”をしているのです。
 子どは大人の所有物ではありません。
 “心”を持っただいじなひとりの人間です。
 虐待を受けて、その上で殺害されてしまった6歳の男の子のことを今思っています。
 つらかったよね、かなしかったよね。
 うったえているその子の目が私の心につきささってきます。

                      2023.6.28  荒井 きぬ枝

山口雅代さんとおかあさん(昭和38年・短大卒業記念に高野山へ)

      2022年9月 於:小海町高原美術館浮田要三と『きりん』の世界展」で。
     この時雅代さんにお会いすることができました。