“祖国の歴史そのものをいま血肉のように語り伝える『母べえ』の温もり”
編集者・作家 小宮山量平
またしても、観るたびに身も心もおののくような感動で、「ああ良かった!」と呟かずにはいられない作品の誕生です。考えてもみると、監督であれ、出演者であれ、製作スタッフであれ、誰一人として抜きんでようなどとはしていないのに、みんなの熱気が一体となり、その物語の結晶体を温かな握り飯のように、届けてくれるのです。そんな作品にめぐり会えた歓びを、それを観た直後に、山田監督へと便りせずにはいられませんでした。
(中略)
けれどもあの敗戦が祖国にもたらした巨大な体験の重みの総体は、今もなお私たちが測りかねているのではないでしょうか。そんな欠落感が「第二の敗戦」とも呼ばれるほどの最近の世相を裏づけているような気がします。
今や『母べえ』が語りかけている、あの時代を生きぬいた人々の温もりの深さこそが、私たちを勇気づけてくれる季節の訪れのようです。
「母べえ」への特別寄稿について
エディターズ・ミュージアム代表 (文責 荒井 きぬ枝)
1987年2月世界80ケ国の文化人を集めて開かれた「科学と文化の会議」に出席のため、出版界を代表して小宮山量平はソヴィエトを訪問しました。
山田洋次さんは映画界を代表して出席。この時の出会いから監督と小宮山の交流が始まりました。監督の作品を拝見すると、小宮山が手紙で感想を・・・・・・ そのような交流が長く続くうち、久しぶりに同行した佐久の望月の風景を大変気に入られた監督は、映画「たそがれ清兵衛」のオープンセットをそこに作る決心をなさいました。
完成した映画の感想を綴った小宮山の手紙はそのまま映画のパンフレットに載せていただくことになりました。
エディターズ・ミュージアムが2005年にオープンして間もなく訪ねてきて下さった監督は、「ここで勉強ができるね」と、この場所の感想を語って下さいましたが、その言葉通り映画
「母べえ」の構想の段階で再びここを訪ねてこられ、小宮山の体験談等をていねいに聞いていかれました。
そして今回、“特別寄稿”という形で小宮山は「母べえ」への感動と想いを述べさせていただくことになったのです。